2010年02月16日

蒼天航路

8時半に起きた。
ネットした。
12時に歩いて図書館に行った。
カレー食った。
帰ってきたら3時半だった。
今は図書館で何も借りてない。
工学部・水柿助教授の解脱

工学部・水柿助教授の解脱

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2008/04
  • メディア: 単行本



これを読んでいた。
面白かった。
図書館までけっこう離れてるけど
考え事しながら歩いてたら
すぐ着くようになった。
卒業論文発表は来週の月曜日である。
今日は火曜日である。

助教授が言っていた
「お前は自分がスーパーマンであるかのように
 思っているのだろうが、本当は人の傷つく事を
 平気で言う奴だ」と。
どうも僕は人に「自分の事を客観的に見えていない人」
として見られているようである。

院試に赴いてみて「ちっぽけな自分」が認識できたりもした。
世に出るってって事はそういう風に大事なんだろう。
でも無理に外に出てメッタメタのグッチャグチャに
なれば良いという事でもないような気がする。

自分を客観的に見るという事は
自分が今何をしているかという事を知る
という事なような気がする。
行動の積み重ねが自分であって
何もしない人は客観的には只のロクデナシなのだろう。

ニーチェが「孤独は人を堕落させる」と言っていた。
本当にそうだと思う。
たいていの人は「見てくれる人」がいないと
ドンドン歯止め無く堕落していってしまうモノだ。
大学生活において「ぼっち」になると
「見てくれる人」がいなくて
堕落に歯止めがかからなくなり
究極的には退学してしまう人も出てしまうようだ。

僕は大学時代何もしてこなかった。
ブログと新都社の活動はやったけど
文章力も画力も漫画力も大した事が無い。
たとえ一人で居ても「勉強」していれば
胸を張って「僕はリア充だ」と言えたかもしれない。
今までは僕の中ではそうやって生きてきたつもりだった。

友達がいなくても「僕は勉強している」という事実が
大きなココロの支えとなった。
客観的な事実、経験というモノは無い。
根拠の無い自信は当たり前に脆い。

事実や経験の積み重ねが大事だ。
漫画創作活動でも練習量がきちんとしていれば
そこそこ胸を張っていられるかもしれない。

ダラダラとネットにのさばる事は
現実逃避だろう。
パッと共感を得てはすぐに霧散してしまう情報には
あまり価値が無い。単なる癒しだ。

てかブログも現実逃避だろ。

現実って難しいな・・・。
夢と理想を捨てるのは駄目だ。

高みを目指す事をやめる必要は無い・・・。

終わります。
posted by 緑鳥 at 17:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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